2007年11月12日19:00
(この記事はシュクルが執筆したものです。)
この日の夜は、ライトアップされた高台寺の紅葉鑑賞の予定を立てていました。
しかし、北野天満宮で神の怒りに触れ、どしゃ降りの雨に見舞われてからというもの、その後の二条城・神泉苑は雨と寒さと疲労との戦いとなりました。
ずっと歩いて足も痛いし、紅葉はちっとも色づいてないし。
もう、一刻も早く宿に帰って、ゆっくりお風呂につかって、ふとんでまったりごろごろしたい。
そんな気分で、とりあえず京都駅地下街ポルタでホッカイロとスタバのコーヒーを買って、一旦宿に戻りました。
お部屋に帰ってちょっと一息つくと、かなり楽になりました。
私は、もうごろごろまったり気分満タンクでしたが、ダーリンが、「せっかく京都に来たんだから、やっぱり行こう」と言うので、ババシャツを二枚重ねにしてホッカイロを持ち、高台寺めざして出発しました。
高台寺は、豊臣秀吉の死後、秀吉の菩提を弔うために夫人の北政所ねねが開創したお寺です。
ねねが晩年を過ごした場所であり、終焉の地でもあります。
今回、初めて訪れたのですが、まずその広さにびっくり!
広い敷地には、いくつもの建築物があり、回廊でつながれています。
名匠・小堀遠州作の庭園は、池が二つ、秀吉遺愛の観月台がかかり、モミジが水面に映えます。
これが真っ赤に紅葉したら、さぞや美しいでしょう。
かえすがえす、まだ紅葉には早かったのが惜しまれます。
それでも、それを補って余りあるほどのすばらしさ。
あいにくの雨でしたが、それがまたえもいわれぬ風情を感じさせます。
平地ではなく、山に建っているので、傾斜を活かした建物や庭の配置も見事です。
茶室や書院など、一つ一つの建築物を拝観したあとは、庭園に見とれながら時間を過ごしました。
高台寺は、徳川家康が多大な経済的援助を行ったので、建設当時は今よりもさらに壮麗を極めたそうです。
考えてみれば、ねねは戦国時代終焉のキーパーソンと言えます。
秀吉が天下を獲る活躍ができたのも、ねねの尽力が大きいし、家康が天下を獲れたのも、天下分け目の関が原で、ねねが家康についたからと言えるでしょう。
家康の感謝と援助も、むべなるかな。
表舞台では戦国時代の英雄たちが世の中を動かしたわけですが、実は、ねねの陰の力は時代の大きなうねりの中で重要な役割を果たしたのだと思います。
そして、ねねは、性格的にも人を惹きつける魅力があったのでしょうね。
あの気難しい信長も大のお気に入りで、とてもやさしい手紙をもらっているほど。
家康も、単に損得だけで援助したのではないのかもしれませんね。
さすが、高台寺さま。
そんな思いをめぐらせつつ、鬱蒼とした竹林に囲まれた道を下り、しっとりとした雰囲気のねねの道~石塀小路を歩きながら、「次は絶対紅葉が盛りの時にもっとゆっくり来よう!」と固く決意するのでした。








