2007年11月13日14:10
銀閣寺(慈照寺銀閣)は、1482年に室町幕府8代将軍である足利義政が、隠栖生活を過ごすために造営した東山殿が発祥です。
のちに、義政が死去した際、その菩提を弔うため、東山殿を寺に改め、臨済宗相国寺派の禅寺となったそうです。
東山殿は東山文化の発祥の地でもあり、茶道・華道・俳諧といった近世の庶民文化に通じる美意識を興した場所でもありました。
1994年には、「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録されています。
私は、金閣寺は高校時代の修学旅行で見学したのですが、銀閣寺は初訪問です。
金閣は金箔貼りで高校生の目にも見ごたえがありますが、別に銀箔が貼ってあるわけでもない銀閣は、薄汚い掘建小屋のようで、まったく興味をそそられなかったからです。
しかし、この歳になって訪れてみると、銀閣には銀閣なりの風情があります。
よく言えば絢爛豪華、ともすれば悪趣味な金閣に比べ、ひっそり落ち着いて周囲の自然に溶け込んでいる銀閣は、さながら大きな茶室といった趣で、俗世との交わりを絶って幽玄を追求したような空間でした。
銀閣に銀箔が貼られていないのは、「応仁の乱で生じた財政難の影響」という俗説をよく聞きますが、実際は最初から銀箔貼りにする予定は無かったようですね。
そもそも、「銀閣」という呼称そのものが、金閣と対比して後に呼ばれるようになった俗称だそうですから、「銀閣=銀箔」というイメージは後世の人々が勝手に植え付けたイメージであるようです。
実際に訪れてみると、向月台や銀沙灘など砂の造形は枯山水に通じるものがありますし(ただし、よく調べるとこの二つは江戸時代にできたものだそうですが)、また義政本人が書画や茶の湯といった、後世の「わび・さび」に通じる美意識に親しんでいたことを考えると、建物全体に銀箔を貼るという趣味はなかったように思われます。
銀閣の背後(というか正面?)には、月待山という裏山があり、順路に従って散策すると、中腹の展望所から銀閣を見下ろすことができます。
ここは周囲の紅葉もよく色付いていて、今回の旅行で最も写真の撮り甲斐があった場所でした。
ただし、その展望所までの道は、結構ちゃんとした山道で、「マムシに注意!」という恐ろしいことがさらりと書いた看板があるくらいですから、足下には注意した方が賢明です。
我々も歩きにくいブーツでしたから、あまり人のことは言えませんが、私たちの後ろにいたカップルなどは女の子がピンヒールを履いていて、あからさまに嫌そうな顔をしながら歩いていましたから、そういう場合は男性の方で自重してあげましょう。
銀閣は、2008年2月から修復作業に入り、現在は足場やシートで覆われているようです。
現在は、黒漆で保護するかどうか、府と寺で係争中ということですが、黒漆塗りということになれば、大きく美観が変わってしまうかもしれません。
当時はそんな事情は知りませんでしたが、どうやら滑り込みセーフだったようですね。
2010年に修復が完成すれば、きっと今より綺麗になるのでしょう。
でも、薄汚い掘建小屋のようにも見える寂び寂びとした銀閣は、紅葉の中、500年の時をその身に纏い、京都の閑寂の美を体現しているかのようでした。
- 次の記事: 村上開新堂で好事福盧を味わう
- 前の記事: 銀閣寺道でにしんそばを味わう



