2009年7月11日14:20
関が原の合戦後、上杉家が越後から会津を経て米沢に移封されたことで、新潟と米沢には浅からぬ縁があります。
今回、米沢を訪れてみて、その縁の深さを最も実感したのは、林泉寺と宮坂考古館を訪れたときでした。
林泉寺は上杉神社からも近く、徒歩でも20分弱の距離なので、散策気分で歩いて行くのもいいでしょう。
実際、林泉寺の駐車場はあまり広くないので、駐車スペースを見つけるのに一苦労でした。
林泉寺
林泉寺は上杉氏の菩提寺です。
開基したのは春日山城の麓ですが、移封に伴って米沢に移転建立されました。
米沢の林泉寺は、立派なお寺ではありますが、春日山城の林泉寺に比べると、かなり質素な印象です。
米沢藩は慢性的な財政難に苦しみ続けた藩ですから、豊かだった謙信時代のような林泉寺を建立する余裕はなかったのでしょう。
堂内には常設宝物館があり、上杉謙信公ゆかりの毘沙門天や上杉鷹山公の自筆書など、多くの寺宝が収蔵・展示されています。
境内には藩の奥方・子女・重臣たちの墓所があり、直江兼続・お船の夫妻も、ここ林泉寺に眠っています。
上杉家の猛将として、戦国SLGなどでも登場する甘糟景継の墓などもありました。
ただ、ここで一番気になったのは、新津城主だった新津左近の墓でした。
新津と言えば、現在の新潟市秋葉区にあたる新潟の地名。
こういう風に、新潟県内を支配していた領主の多くが、上杉景勝と一緒に米沢に移って行ったんですね。
宮坂考古館
林泉寺の次は、車で宮坂考古館に移動。
ここでは「花の慶次」でもおなじみの、前田慶次の鎧が展示されています。
他にも鎧がたくさんあって、非常に見ごたえのある資料館でした。
その中に、団扇を前立てにした水原親憲の甲冑があります。
水原といえば、瓢湖がある新潟の地名(現在の阿賀野市の一部)。
瓢湖の近くに代官所跡がありますが、水原親憲が米沢に行ったので、水原は天領になって、代官所が置かれたんですね。
新潟の江戸時代は、村上・新発田・長岡など一部の城下町を除いて空白の時代と言えますが、こうして考えると、上杉景勝の国替えは、上越だけでなく、新潟全般の運命を変えた出来事だったように思います。
もし、関が原の合戦で西軍が勝っていたら、あるいは上杉景勝が会津に行っていなかったら、新潟は今とはまったく違うことになっていたでしょう。
国替えというのは、武士の生活だけではなく、庶民のレベルでも、大きな歴史の転換点だったということを実感しました。








