Home / 甲信旅行記 / 諏訪大社下社春宮と日本人の宗教観

May
02
2011

諏訪大社下社春宮私たちの諏訪大社巡礼の旅も、あとは下社春宮を残すのみになりました。
当初はあっさり終わるんじゃないかと思っていたものの、意外と何だかんだで時間がかかり、たっぷり2日がかりの参拝になってしまいました。
諏訪大社下社秋宮から下社春宮までは、距離にすれば目と鼻の先ですが、とにかく道路が狭く入り組んでいるので、車で移動しようとすると意外と大変です。
車で移動するなら、最短距離の国道142号線(花見新道)からではなく、国道20号線(大社通り)でいったん下諏訪駅方面に向かって、春宮大門の信号からアクセスした方がわかりやすいでしょう。

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下社春宮を参拝する

下社春宮の神楽殿さて、軽く道に迷いつつも、無事に下社春宮の駐車場に車を停めることができたので、さっそく下社春宮の参拝です。
下社の春宮と秋宮は、同じ絵図面をもとに造営されているため、大きさこそ少し異なるものの、社殿の配置や構造は同じです。
秋宮では修復工事中だった神楽殿も、春宮は既に改修が終えられていて、出雲大社を思わせる超ごんぶと注連縄も、ここでようやく見ることができました。

下社春宮の拝殿神楽殿の奥にある拝殿は、例によって本殿を持たず、秋宮と同様、拝殿の奥にある御神木を御神体にしています。
古神道研究家の暁玲華さんによれば、2011年は木々のパワーが感じられる神社を訪れると良いとか。
御神木を御神体として拝し、今ではすっかり見慣れた御柱をはじめ、根元で一つになっていることから縁結びに利益があるとされる「結びの杉」など、下社春宮には木にまつわるパワースポットがたくさんありますから、スピリチュアル好きの人は、ぜひ足を運んでみるといいですよ。

ゆっくり絵馬を奉納する

ゆっくり絵馬の奉納こうして諏訪大社4社の参拝を無事に済ませ、去年からの宿願を果たした私たちですが、一つだけ心残りなことが。
一応、今回の旅の目的は、諏訪大社にあるであろう「ゆっくり絵馬」の隣に「旅行記成就」と書いた絵馬をかけて、旅行記の完成を感謝することを旨としていたわけです。
ところが、残念なことに、今回の諏訪大社参拝では、ゆっくり様を描いた絵馬が一つも見当たりませんでした。
それはもう、諏訪子はそこかしこにいたんですけどね。
そこで、こんなこともあろうかと自前で用意しておいたのが、消しゴムはんこ製ゆっくりスタンプ。
これを絵馬にペタンコと捺して、感謝の言葉とともに絵馬所にかければ、ゆっくり絵馬奉納の目的も完遂です。
せっかくなので、諏訪子の痛絵馬の隣に奉納して、これでゆっくり絵馬奉納の目的も無事に成就できました。

復興祈願絵馬

復興祈願絵馬もたくさんありました今回の諏訪大社参拝では、絵馬を奉納するのが旅の目的の一つだったこともあり、絵馬所の前で過ごす時間も多かったのですが、そこで大量に目にしたのが、先の東北関東大震災からの復興を祈願した絵馬の数々です。
私たちも上社で震災復興祈願絵馬を書きましたが、こういう時には多くの人が自分個人の願い事だけではなく、日本の国の安寧を神様に祈るものなんですね。
絵馬の字や書き振りから見ると、明らかに若いと思われる人のものがたくさんあって嬉しくなりました。
こういう気持ちがある限り日本の将来も捨てたものではないぞと思います。

諏訪大社の御朱印コンプリート

諏訪大社の御朱印をコンプリート参拝を済ませたので、社務所に行って御朱印を戴きます。
これがまた超達筆で、思い切りの良さとか筆遣いの巧さとか、書くのを見ていて惚れ惚れしてしまいました。
また、諏訪大社四社の御朱印をすべて戴くと、諏訪大社の御神供がもらえるそうで、思わぬお土産にちょっと嬉しかったり。
戴いた御神供は、表面に御神紋の三本梶が施された蕎麦落雁で、家で美味しくいただきました。
これで、信濃国一之宮巡礼の目的も完遂です。

万治の石仏

万治の石仏下社春宮の参拝を終えた後は、歩いて250メートルほど離れたところにある万治の石仏へ。
この万治の石仏は、岡本太郎が絶賛したとか、みのもんたの朝ズバッ!で紹介されたとか、下諏訪の人気スポットみたいです。
伝説によると、下社春宮の大鳥居を造る際に、石にノミを入れたら傷口から血が流れ、それに恐れをなした石工たちが仕事をやめたところ、夢枕で良質の石材の場所を告げられたため、それを記念して石仏としたのが、この万治の石仏だそうです。
石仏の前で「よろずおさまりますように」と一礼して、願い事を心に念じながら石仏を時計回りに三周し、最後に正面で「よろずおさまりました」と一礼すると、願い事が叶うそうですよ。
石仏の周辺は、綺麗な川が流れていたり、赤い橋が架かっていたり、ちょっとした散策気分も味わえます。

日本人の宗教観

こうして諏訪大社の参拝を無事終えたわけですが、今回は日本人の心性についていろいろ考えさせられました。

ひとつは、無常観というものです。
日本人は心のどこかで、「諸行無常」をこの世の真理として感じているのではないでしょうか。
永遠なものはこの世には無い、形あるものはいつか無くなるという感覚。
だから逆に、過去なんども災害や戦争でいろいろなものがなくなっても、本当に絶望することなく、また力強く復興できたのではないでしょうか。
日本の神社の式年遷宮や御柱も、永遠のものを作るのではなく、何年かごとに新しくします。
いわば、そういう新陳代謝をすることで、今、目の前の形あるものは無くなっても、目に見えない魂は受け継いでいくことができるのです。

そして、そういう目に見えない魂や精神のようなものを感じるのは、日本人の宗教観にもつながっていると思います。
日本人はよく、他国の人と比べて宗教心が薄いと言われます。
宗教を訊かれたら、「無宗教です」とか「無神論者です」とか答える人も多いでしょう。
しかし、普段は意識していなくても、災害があれば神様や仏様に復興を祈願するし、厄年になればお祓いしてもらうし、初詣や七五三やお宮参りに行ったりもします。
そもそも日本は八百万の神の国。
天ツ神や国ツ神のような神話の神もいれば、山にも川にも海にも石にも木にもトイレにも神様がいて、それをすんなりと受け入れられるのは、無意識に、目に見えないもの、人間を超えたものへの畏敬の念があるからだと思います。
それはきっと、イデオロギーや教義ではなく、感性の部分で。

そういう意味で、日本人にとっての信仰というのは、とても身近な感覚としてある。
むしろ、あまりに身近でありすぎて、宗教という形式的なところではなく、神様への親しみという感覚で、日本人の信仰心は表れるのではないかと思うのです。
だから、痛絵馬が大量に描かれるのも、般若心経をポップやロックにアレンジした動画がニコニコで人気になるのも、決して宗教をバカにしたり、ふざけていたりするのではなく、純粋な神様への親しみ、信仰心の表れなのではないでしょうか。
そして、そういうしなやかな信仰心こそが、日本人に特有の宗教観なんじゃないのかなとも思ったりするのです。

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Comments:2

凛__ 2011年6月26日 17:57

ちょうど諏訪大社春宮にいったら絵馬を見つけましたww
そしてブログとても面白いですねw

シュクル 2011年6月27日 22:55

凛さま、コメントありがとうございます。
まさか、私たちのゆっくり絵馬を御覧になった方からコメントがいただけるとは!
驚きです。笑。
ブログも読んでいただき、感激です。
これからも面白いと言ってもらえるような記事が書けるよう、がんばります。

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