Home / 関東旅行記 / 常陸国一之宮・鹿島神宮に再参拝

Nov
18
2013

常陸国一之宮・鹿島神宮に再参拝

あづま路の道の果て・常陸国の一之宮は鹿島神宮。
茨城県鹿嶋市にあり、20万坪もの広大な敷地に鎮座する東国有数の神社です。
御祭神は日本神話で最強とも名高いタケミカヅチで、勝負運・交渉運・武芸向上に特に御利益があるとされています。
実のところ鹿島神宮は、4年前の2009年、一之宮めぐりを始めたばかりの頃に、サーチライトが一人で参拝し、御朱印も既にいただいてあります。
ただ、当時の参拝記は結局書かずじまい、また一之宮めぐりがここまできた以上、やっぱり夫婦そろって参拝しておこうということで、改めての再参拝となりました。
この日はすっきりと晴れ上がり、朝日に照らされた緑が眩しい早朝の境内に足を踏み入れます。

- スポンサードリンク -

戦いの神タケミカヅチ

鹿島神宮の祭神・タケミカヅチ(武甕槌大神)は、イザナギがカグツチを殺したときの血から生まれた神様で、日本神話では武神として活躍します。
そんなタケミカヅチの活躍で、最も有名なのは「国譲り神話」でしょう。

「出雲の国譲り」
かつて日本の国土は、国津神の総帥であるオオクニヌシによって統治されていました。
天津神の総帥であるアマテラスは、自らの子孫が国を治めるべきだと考え、オオクニヌシがアマテラスに国を譲るように、オオクニヌシの住む出雲へ使者を遣わせます。
アマテラスの最初の使者・アメノホヒは、逆にオオクニヌシに従ってしまい、最初の国譲りは失敗に終わります。
次に遣わされたアメノワカヒコもまた、オオクニヌシの娘であるシタテルヒメの美しさに惑わされ、オオクニヌシに懐柔されます。
アマテラスは三度目の交渉として、タケミカヅチとフツヌシに最強の霊刀・十握剣を持たせ、武力で国譲りを迫ります。
オオクニヌシの子であるタケミナカタは、タケミカヅチと戦いますが、度重なる交戦の末に諏訪国まで追い詰められ、ここでタケミカヅチと和解します。
こうして戦いに勝利したタケミカヅチは、再びオオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは出雲大社建立や優れた人材の起用と引き換えに、国をアマテラスに譲ったのでした。
これが、日本のはじまりです。

こうして国譲りを完了させたタケミカヅチとフツヌシのコンビは、その後の東国平定にも起用され、タケミカヅチはここ鹿島神宮で、フツヌシは隣の香取神宮で、東方鎮守の守護神として祀られています。
さらに軍神の威光は東北にも及び、シオツチオヂの案内によって陸奥平定に尽力したのも、このタケミカヅチとフツヌシとされています。
まさしく、天津神の勢力拡大の中心にはタケミカヅチとフツヌシあり。
いわば日本神話界の攻撃的ツートップと呼べる神様なのです。

鹿島神宮に参拝

それでは、さっそく境内へ。

大鳥居は東日本大震災で倒壊

参拝者駐車場に車を停めて大鳥居に向かうと、その大鳥居がないことにふと気づきます。
「4年前は立派な石の鳥居があったはずなのに...?」と思って調べてみると、先の東日本大震災で倒壊してしまったそうです。
2014年(平成26年)に、新しい木の鳥居が完成する予定。

楼門は「日本三大楼門」のひとつ

参道を進むと、朱色の立派な楼門が見えてきます。
この鹿島神宮の楼門は、肥後一宮・阿蘇神社、筑前一宮・筥崎宮と並んで、「日本三大楼門」のひとつ。
きれいに写真を撮ろうと思ったら、朝日が逆光で眩しすぎる。

鹿島神宮の社殿

楼門をくぐると、右側に社殿、左側に授与所・社務所・宝物館があります。
鹿島神宮の社殿は、かつては伊勢神宮のように20年ごとに造営が行われていたそうですが、現在の社殿は1619年に江戸幕府二代将軍・徳川秀忠が奉納したもの。

宝物館には、タケミカヅチの帯刀「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」が展示されています。
ただ、この日は早朝の参拝だったので、まだ開館されていませんでした(9:00開館)。

鹿島神宮の森で朝のウォーキング

社殿の奥には、20万坪にも及ぶ「神宮の森」が広がっています。
800種を超える草木が繁茂する植物の宝庫で、照葉樹林の北限としても貴重な天然記念物の原生林。

神宮の森へ

中でも、天高く直立するヒノキの並木は圧巻の一言。
日曜の早朝にもかかわらず、朝のウォーキングを楽しむ多くの参拝客で賑わっていました。

鹿園の神鹿

神宮の森を進んでいくと、鹿園があります。
鹿島神宮周辺の森には、かつては多くの鹿が棲息していたため、その歴史を伝えるニホンジカが飼育されているそうです。
かつてはもっと間近に鹿と触れ合えたのですが、心無い人の悪戯で死んでしまう鹿が続出したため、現在は高いフェンス越しに囲まれて飼育されています。

鹿と目が合った

かわいい鹿の絵馬

この鹿園のほかにも、鹿島神宮の周辺には鹿の像がたくさんありますし、絵馬にも鹿が描かれています。
もともと鹿は神様の遣い・神様の乗り物といわれますが、それも奈良の春日大社にタケミカヅチを勧請した際、タケミカヅチが神鹿に乗って鹿島から奈良までやってきたからだとか。
Jリーグ・鹿島アントラーズの「アントラー」というのは「鹿の枝角」のことですが、その名前の由来も鹿島神宮にちなんだもの。
日本神話最強の戦神にあやかったのですから、そりゃアントラーズが強いわけです。

奥宮は徳川家康が奉納した本殿

さらに神宮の森を進むと、奥宮があります。
これは1605年に徳川家康が奉納した本殿を、秀忠が現社殿を奉納した際に引き移したもの。
東国鎮守の武神を祀る鹿島神宮が江戸幕府に篤く崇敬されたのは納得ですね。
その向かいには、松尾芭蕉が鹿島詣で詠んだ句碑が立っています。

凹型の要石

奥宮で二手に分かれる道を右手に進むと、要石の社があります。
頭頂部だけがわずがに露出している霊石で、鹿島神宮の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大鯰の頭を押さえつけている鎮石ともいわれます。
鹿島神宮の要石は凹型ですが、香取神宮の凸型要石と一対になっているそうです。

御手洗池

奥宮まで戻って今度は左手の坂道を下ると、御手洗池の広場に出ます。
この御手洗池は、1日400kL以上の清水が湧出し、古くからの禊の場。
コバルトブルーの美しい池です。

御手洗池に浮かぶ花

大きな椎の木の下には柄杓があり、湧き水を飲んだり持ち帰ることもできるそうです。
周辺には2軒の茶屋があり、大きなみたらしだんごが名物。
ただ、この日はまだ開店の準備をしていました。

朝の神社参拝の清々しさ

こうして、鹿島神宮の広大な敷地をぐるっと歩き回って約1時間の参拝。
早朝のため授与所はまだ開いていませんでしたが、御朱印は既にいただいてあるので、今回は特に問題なし。
まあ、境内には宮司さんや巫女さんが参拝客を迎える準備をしていたので、声をかければ新たに御朱印もいただけたとは思いますが。

鹿島神宮の御朱印

朝日の中の神社参拝は、一日の始まりのエネルギーに満ち溢れ、それが神社のしゃきっとした空気と融合して、とても気持ちのいい空間でした。
スピリチュアルな感度に疎い私たちでも、いわゆる「パワー」を感じ取れた気がします。
特に日曜朝の神社参拝は、休日特有のゆったりした高揚感もあいまって、かなりおすすめ。
4年越しの再参拝も済ませてホッとしたところで、次の香取神宮に向かいます。

常陸国一の宮・鹿島神宮に再参拝

【まとめ】 全国一之宮めぐりのすすめ

- スポンサードリンク -

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Comments:0

Comment Form

コメントは管理人の承認後に公開されます。

Information
  • twitter
  • rss
  • はてなブックマーク
  • Instagram
カテゴリー
タグクラウド
記事への反応

back to top