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Mar
15
2014

三河国一之宮・砥鹿神社に参拝

三河国の一之宮は、愛知県豊川市に鎮座する砥鹿神社(とがじんじゃ)です。
主祭神は、国津神の総帥・オオナムチ。
八百万の神々の中でも絶大な神徳を誇り、国土開拓・五穀豊穣・商売繁盛・病気平癒・縁結びなど、幅広く御利益があるとされています。
今回の参拝の旅では、数多くの七五三参拝客を目にしてきましたが、ここもまた晴れ着をきた子どもたちの声で賑わっていました。

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名前がいっぱいオオナムチ

ところで、冒頭で「国津神の総帥はオオクニヌシじゃなかったの?」と思った方は、日本の神話に詳しい人ですね。
「オオナムチ(大穴牟遅命・大己貴命)」というのは、出雲大社に祀られるオオクニヌシの別名です。
というか、もともとはオオナムチという名前の神様だったのが、数多くの苦難を乗り越えて国の基礎を築くに至ったため、「国を支配する神」という意味合いを持つ「オオクニヌシ(大国主命)」と呼ばれるようになったというのが正解でしょうか。
オオナムチは、特に数多くの名を持つことでも知られ、古事記では「オオクニヌシ」「オオナムジ」「アシハラシコオノカミ」「ヤチホコノカミ」「ウツシクニタマノカミ」と、五つの名前があると記述されています。
絶世の美女・ヤガミヒメのハートを射止め、兄弟神の嫉妬にも負けず、スサノオの命で国づくりの大業を成し遂げ、アマテラスに国を譲るオオナムチのエピソードは、日本神話の中心のひとつ。
オオクニヌシの国づくりについては、次回の遠江国一之宮・小國神社で詳しく紹介します。

砥鹿神社の里宮と本宮山

今回私たちが参拝したのは、砥鹿神社の「里宮」です。
この名前からもわかるように、本来の砥鹿神社は里宮の北方にある本宮山に鎮座していたそうです。
国土を開拓したオオナムチが三河に巡幸した際、本宮山に留まったことから、「止所(とが)」と呼ばれたのが地名の由来とか。
今から1300年前に里宮に遷座され、現在の本宮山には「奥宮」があります。

砥鹿神社の社殿

参拝者駐車場から鳥居をくぐって、西神門から境内へ。
砂利敷きの境内には、七五三の祈祷受付の白いテントがいくつも建ち、社殿の前では千歳飴を片手にした晴れ着の子どもたちが記念写真を撮っています。

七五三詣りの碑

ちょっと面白かったのが、太鼓楼の前にあった七五三詣りの碑。
黒御影に目盛りが刻まれていて、身長が測れるようになっていました。

徳川家康の国づくり

さて、三河国と言えば、徳川家康の出身地。
三河・松平家に生まれた家康は、幼少時に織田家と今川家の人質として行き来し、桶狭間の戦をきっかけに三河に復帰した後も、一向一揆に苦しめられ、武田信玄に惨敗し、豊臣秀吉の臣下となり、江戸幕府を開くまでは苦難の連続でした。
幾多の苦難の末に国を平定し、300年続く江戸幕府の基礎を作った家康の姿は、オオクニヌシの国づくりとイメージが重なります。
その徳川家康の長女・亀姫は、長篠の戦で功を上げた奥平信昌に嫁いでいます。
当時、奥平氏が本拠としていたのは本宮山の一円・新城(しんしろ)。
こうしたつながりがあったからでしょう、平安時代には「従五位下」という低い位の神社だった砥鹿神社は、江戸時代には「正一位」という最高位に上がりました。
家康が300年も続く強固な国を作ることができたのも、国土開拓の神・オオクニヌシの加護があったのかもしれませんね。

三河国一の宮・砥鹿神社に参拝

【まとめ】 全国一之宮めぐりのすすめ

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