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Nov
22
2014

高野山の聖地「奥之院」を歩く

宿坊をチェックアウトして、高野山最後の観光は「奥之院」
奥之院の入口「一の橋」から最深部「弘法大師御廟」まで、奥行きだけでも2kmに及ぶ高野山最大の霊場です。
奥之院は弘法大師・空海が入定した地であり、その上に建立された御廟から、今も生きたまま世の中を見守っているとされています。
参道には老杉と供養塔が立ち並び、宗徒ならずとも感じる荘厳な雰囲気。
そんな高野山の信仰の源泉である奥之院を、じっくり時間をかけて歩いてきました。

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千手院橋から奥之院までの道を歩く

私たちが宿泊した宿坊「一乗院」は、千手院橋の観光案内所のすぐ近くにありました。
ここから奥之院の入口「一の橋」までは、およそ1kmの距離。
路線バスを利用する手もありますが、高野山の街並みを味わうため、歩いて奥の院に向かうことにしました。

苅萱堂のあたりの道

千手院橋から奥之院までは高野山のメインストリート。
車の往来はそこそこありますが、歩道が整備されて歩きやすい道です。
道路の両側は、寺、寺、寺。
どこも歴史のある名刹なんでしょうけど、こんなにあると区別がつきません。笑。
時おり仏具を扱う店があり、どこからか高野豆腐を炊く匂いもほんのり漂います。
こうして歩いてみると改めて実感しますが、高野山は一大宗教都市なんですね。

一の橋から杉並木の参道を歩く

奥之院の入口「一の橋」に到着。
一の橋は俗世と聖域を分ける橋です。
弘法大師・空海が参詣人をここまで送り迎えするという伝承があり、橋の前で合掌一礼して渡ります。

一の橋から聖域へ

奥之院の参道は約2km。
参道の周囲は杉並木で、樹齢千年を超える老木も多いそうです。
その杉並木の中には、20万基以上といわれる墓石群が並びます。
正確な数が判明しないのは、地中にも無数の小石塔が眠っていて、土を掘ればいくらでも出てくるからだとか。

上杉謙信の霊屋

奥之院の見どころの一つは、戦国武将たちの墓所めぐり。
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、石田三成、明智光秀といった人気戦国武将の墓が、そこかしこに点在しています。
観光案内所でもらえる高野山のガイドマップにおおよその位置が記されているので、奥之院を訪れる前に入手しておくといいでしょう。

伊達政宗の供養塔

これらの戦国武将の墓所は、遺骨を埋葬した墓ではなく、正確には供養塔。
江戸時代に徳川家が高野山を菩提所に定めると、大名や有力者が競って高野山に供養塔を建てたことから、錚々たる面子が集うことになったようです。
戦国武将のほかには、大岡越前、赤穂四十七士、親鸞聖人などの供養塔もあり、時代も宗派も敵味方も超えて、弘法大師のそばで眠っています。

中の橋

戦国武将の墓所をめぐりながら参道を歩いていくと、中間地点の「中の橋」に到着。
「金の川」にかかる中の橋ですが、金は死の隠語であったことから、三途の川を渡る橋とされ、生の世界と死の世界を分ける橋と言われています。

汗かき地蔵

そんな中の橋の周辺は、高野山の不思議スポット。
諸人の罪業を一身に背負い、人々に代わって灼熱の苦を受けているため汗をかくという「汗かき地蔵」。
水面を覗き込んで自分の影が映らなければ3年以内に死ぬという「姿見の井戸」。
坂の途中で転ぶと3年以内に死ぬという「覚鑁坂」。
なんだか恐ろしい伝承ばかりです。

豊臣秀吉の供養塔

中の橋を渡ってしばらく進み、御廟の霊域に入る手前に、豊臣秀吉の墓所があります。
豊臣家の墓所は、他の戦国武将に比べてひときわ広い敷地。
高野山攻めを行なった織田信長が本能寺の変で倒れた後、当初は秀吉も高野山と敵対しますが、後に高野山を保護するようになり、寺領を寄進して母の菩提のために青巌寺を建立します。
この青巌寺が、現在の金剛峯寺の前身。
豊臣家の墓所が立派なのは、こうしたいきさつによるものかもしれません。

御廟橋から弘法大師御廟へ

奥之院参道の終点「御廟橋」から先は、弘法大師の霊域です。
参詣人はここで脱帽し、橋で煩悩を落として先に進みます。
御廟橋から先は、写真撮影も禁じられています。

御廟橋から先は写真撮影禁止

弘法大師・空海は、835年3月21日に生きたまま窟に入り、即身仏となりました。
やがてその入定地には御廟が建立され、高野山の信仰の根源となっています。
御廟で、数珠に触れ「南無大師遍照金剛」と三度唱えれば、必ず祈りに応えてくれるそうです。
御廟の前には拝殿・燈籠堂が建立され、千年近く燃え続けている二つの「消えずの火」があります。
堂内は、香が立ち込め、読経が響きわたる神秘的な空間。
燈籠堂の天井には無数の燈籠が奉納され、地下には弘法大師の小像がびっしりと奉納されていました。

御供所

即身成仏した弘法大師は、現在も生きたまま瞑想を続けているとされ、毎日の食事が用意されます。
その食事を調理する場所が、御廟橋の手前にある「御供所」。
ここで毎日2回食事を作り、「嘗味地蔵」に味見してもらって御廟へと運ぶそうです。
御守や線香などの授与物も、ここでいただくことができます。

中の橋から俗世に戻る

御廟の参詣を終えた後は、御供所から裏参道を通って戻ります。
裏参道には、UCC上島珈琲のコーヒーカップ供養塔や明和産業のロケット供養塔など、珍しい形の供養塔が多く奉納されていました。

こうやくんグッズ

最後に、中の橋の出口前にあった売店で、「こうやくん」のグッズを購入しました。
「こうやくん」は、2015年の高野山開創1200年に向けたキャラクターで、高野山の魅力を布教しながら全国を回る高野聖です。
顔はちょっとダンボーに似てると思う。
「こうやくんフィギュア」は2,000円もしたんですが、今回の高野山旅行記で大活躍したので、悩んで買った甲斐がありました。笑。
シュクルによれば、「こうやくんは布が似合う男」なので、「こうやくん巾着袋」がおすすめだそうです。

今を生きている高野山

こうして、高野山の見学はひと通り終了。
仏教というと、お墓参りとか葬式とか、そうした暗く枯れたイメージがあるものですが、高野山を訪れると、むしろ明るく生き生きとしている印象を受けました。
高野山の精進料理はその象徴的な例で、使える食材でできるだけ美味しい料理を作ろうという創意工夫に満ちたものです。
考えてみると、殺生こそ禁じられていますけど、別に豪華な食事が禁じられているわけではないんですよね。

南無大師遍照金剛

実は、サーチライトの母の実家は真言宗の檀家。
母はまだ高野山を訪れたことがないそうなので、次に高野山を訪れるときは、ぜひ母を連れてこよう。
母の実家に供えるための線香を買いながら、そんなことを思ったりした高野山でした。

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