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Dec
07
2014

徳川御三家の居城「和歌山城」に寄ってみた

紀伊国一之宮めぐりを終えて、和歌山での目的は達した私たち。
しかし、はるばる新潟からやってきた和歌山ですから、このまま帰ってしまうというのも名残惜しい。
そこで白羽の矢が立ったのが、和歌山市の中心地にある「和歌山城」
白漆喰の天守がそびえる平山城で、「日本100名城」の一つにも数えられています。
かつて紀州徳川家の居城だった和歌山城は、さすが御三家の城らしく、堂々として立派なものでした。

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和歌山城の沿革

和歌山城が築城されたのは、安土桃山時代の1585年。
紀州を平定した豊臣秀吉が、弟の羽柴秀長に命じて建てた城です。
その縄張は秀吉みずからが行なったともいわれ、築城を担当したのは伊賀上野城で紹介した「築城の名手」藤堂高虎です。

「白亜城」とも称される白壁の天守

その後、関ヶ原の戦いで武功を上げた浅野幸長の居城を経て、1619年に徳川家康の十男・頼宣が駿府から和歌山城に入城。
以来、紀州藩55万5千石の居城となり、尾張・水戸と並ぶ徳川御三家のひとつとして、江戸幕府を支えていきます。
「享保の改革」「米将軍」で知られる徳川8代将軍・吉宗は、紀伊徳川家の5代藩主。
吉宗は「暴れん坊将軍」としても有名ですね。笑。

和歌山城の天守を見学する

和歌山城は標高49mの虎伏山(とらふせやま)の上に建てられた平山城で、白壁の天守の美しさから「白亜城」という別名でも呼ばれています。
しかし、和歌山城の天守が白壁になったのは、江戸時代の落雷で焼失して再建された時のことで、築城当時は黒塗りの天守だったそうです。
大坂城も大坂夏の陣で焼失するまでは黒塗りの天守だったようですが、熊本城や松本城など、黒い天守で有名な城は1590年前後に築城されたものが多いようですね。
当時の流行だったんでしょうか?

連立式天守の代表的天守

和歌山城の天守曲輪は、大天守と小天守と二つの櫓を四方に配置し、多門櫓で連結した連立式天守と呼ばれる構造です。
この連立式天守は、建物で仕切られた空間に中庭ができるのが特徴で、堅牢で複雑な構造は天守防衛の究極の姿だとか。
和歌山城は、姫路城や松山城と並んで連立式天守の代表的な城で、昭和10年には姫路城に次いで、城としては2例目の国宝に指定されました。
残念ながら、和歌山大空襲で国宝指定部分はすべて焼失してしまい、国宝指定は外されてしまいましたが、昭和33年に天守は再建され、往年の姿を今に伝えています。

当時の石垣も残る

和歌山城の敷地は広大で、復元天守のほかに、現存の岡口門・追廻門、無料の西の丸庭園や南の丸動物園など、たくさんの見どころがあります。
しかし、これだけ広い敷地にもかかわらず、現在の和歌山城公園になっている部分は、最盛期の1/4の面積でしかないというから驚きです。
あいにく雨が強くなり、今回の見学は天守周辺だけになってしまったのですが、天気がよければ時間をかけて散策したい城ですね。

遠くから見ても絵になる城

和歌山城は、近くで見るより遠くから眺めた方が絵になる城とも言われます。
実際、県市庁舎近くの広い道路から、緑深い丘の上に見える和歌山城の姿は、実に印象深いものでした。
そして、こういうシンボリックな建造物のない新潟市に住む私たちは、とても羨ましく思うわけです。

城のある街は憧れる

連立式天守は見る方角によって見え方が変わるので、城の北側にある和歌山市役所の14階食堂と、城の南側にある岡公園から見比べてみるのもおすすめだとか。
和歌山城に訪れた際は、ぜひ試してみてください。

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