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Jul
02
2015

豊前国一之宮「宇佐神宮」に参拝

九州一周一之宮ラリーの旅は、熊本・阿蘇から再び大分に戻って、いよいよ最終チェックポイントの豊前国一之宮・宇佐神宮(うさじんぐう)へ。
宇佐神宮は、「宇佐八幡宮」とも呼ばれ、八幡大神(はちまんおおかみ)を祭る全国の八幡社の総本社とされています。
八幡社の数は全国で4600社あまりと言われ、稲荷神社に次ぐ多さ。
八幡さまは「戦いの神」として有名ですが、実は、日本の神話と歴史に深く関わりを持つ神さまなのです。

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歴史と神話をつなぐキーパーソン

八幡さまというのは、第15代天皇・応神天皇(おうじんてんのう)のことです。
「応神天皇」は死後に贈られた名で、もともとの名は「ホンダワケノミコト(誉田別命・品陀和氣命)」。
では、応神天皇とはどのような方なのでしょう?

神のお告げと神功皇后の新羅遠征

応神天皇の父は第14代天皇・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、母は神功皇后(じんぐうこうごう)。
「古事記」によれば、仲哀天皇と神功皇后は、九州地方の熊襲平定のため筑紫に赴いたときに、「西の方に宝が多くある国がある」という住吉大神のお告げを受けます。
これを無視した仲哀天皇は、神の怒りに触れて死亡。
そして、「さまざまな神々に供物を捧げ、我が御魂を船に乗せ海を渡れ」と告げ、神功皇后が神のお告げのとおりに船出すると、船は魚と風に運ばれて新羅の国へ到着します。
そこで神功皇后は、戦わずして新羅・百済の朝貢を約束させ、帰国しました。

参考 摂津国一之宮「住吉大社」に参拝

参考 長門国一之宮・住吉神社に参拝

応神天皇の誕生

住吉の神は、もうひとつ「この国は神功皇后のお腹にいる御子が治める」というお告げをしました。
新羅にいる間に出産しそうになった神功皇后は、石を腹に巻いて出産を抑え、筑紫に戻ってから無事出産。
その御子が応神天皇です。
応神天皇は、異母兄たちに命を狙われる危機的状況に陥ります。
しかし、神功皇后の知恵によって生き延び、反対勢力との戦いに勝ち、皇位につくことができました。
皇位についた応神天皇は、大陸から最新の産業や文化を導入し、国の発展に尽力したのです。
一説には、実在が確認できる最初の天皇とも言われています。

八幡さま降臨

そんな応神天皇の神霊が宇佐に降臨したのは、社伝によれば571年。
欽明天皇の29年(569年)のこと、菱形池のほとりに八つの頭を持つ鍛冶の翁が現れて、その姿を見た者は病気になったり死んだりといったことが起こりました。
大神比義(おおがのひぎ)という者が見に行くと、鍛冶の翁は金色の鳩に姿を変えました。
神の化身とわかった比義は、三年の間五穀を断って祈ります。
すると、光り輝く童子が現れて、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂、護国霊験威力神道大自在菩薩である。神道として人々を救うために現れた」と告げたのです。

宇佐神宮・上宮

神は名乗った後、黄金の鷹になって駅館(やっかん)川の東岸の松の枝上にとどまりました。
その後、725年に現在の社殿を建立し、八幡神を祭ったのが宇佐神宮の創建とされています。

お告げの神

そんな八幡さまは、「菩薩」と名乗ったように、仏教的存在でもあります。
東大寺の大仏建立の際、宇佐八幡宮から「天の神・地の神を率いて協力する」という神託があり、東大寺の守護神として手向山八幡宮が建立されました。
宇佐八幡神が京に入る時には、天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗り、それが神輿の始まりとも言われています。
宇佐神宮の御朱印帳は、その神輿が図柄になっています。

宇佐神宮の御朱印帳

もうひとつ宇佐神宮のお告げの力が発揮されたのが、奈良時代末期の道鏡事件。
称徳天皇が天皇家の血筋ではない僧・道鏡を天皇の位につけようとして、部下の和気清麻呂を宇佐神宮に派遣したところ、「道鏡を天皇にしたら天下が乱れる」という神のお告げがあって皇統が守られたわけです。
朝廷の庇護はますます厚くなり、その後も京都の守りとして岩清水八幡宮が建立されたりして、国家守護・皇室守護の神様として信仰されました。

武家の守護神・勝利の神へ

京都に建立された石清水八幡宮は、清和源氏の氏神となります。
もともと戦いに強い神である八幡さまですから、八幡宮は武家からも篤い信仰を受けることになります。

森の中の神社

有名なところでは、源義家は「八幡太郎義家」と呼ばれていましたし、源頼義は壺井八幡宮を大阪に建立し、源頼朝は鶴岡八幡宮を建立するなど、武士の時代になってからは、戦の神・勝利の神としての御神徳が強調されました。

宇佐神社・西大門

鎌倉武士が遠征に赴いた地で必勝祈願や勝利感謝のために八幡神を勧請して祭ったため、八幡様は全国的に広がりました。
応神天皇が困難を乗り越えて天皇に即位したことや、源氏が武家の棟梁となったことから、出世開運の神とも言われています。

宇佐神宮の中心は女神の神殿

そんな八幡さまの総本社である宇佐神宮は、イチイガシの森に囲まれた丹塗りの社殿がいくつも並ぶ、豪壮華麗な神社です。
大型バスが何台も駐車できる大きな駐車場から、お店が並ぶ参道を進むと、巨大な大鳥居があり、さらに参道を登っていくと、いくつもの境内社がありますが、どれも朱塗りの華麗なもの。

豪華な勅使門

石段の上にあるのが上宮で、絢爛豪華な勅使門に目を見張ります。
その奥にあるのが本殿で、本殿は左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と並んでいます。
一之御殿に祭られているのが八幡大神、二之御殿に祭られているのがヒメオオカミ(比売大神)、三之御殿に祭られているのが神功皇后です。
八幡大神と神功皇后はわかるとして、不思議なのが二之御殿に祭られている比売大神。
豪華な勅使門のまっすぐ奥が二之御殿で、ここが神社の中心のように位置しています。

二之御殿・奥

比売大神というのは、タギツヒメ(多岐津姫命)・イチキシマヒメ(市杵嶋姫命)・タギリヒメ(多紀理姫命)の三女神とされています。
アマテラスとスサノオの誓約によって誕生したとされる神で、厳島神社をはじめ、たくさんの神社に祭られているポピュラーな神様。
しかし、この比売大神は、八幡さまよりも先にこの地に降臨した神と言われています。
全国的な神さまというより、もともと宇佐の地主神として特別に人々の信仰の対象になっていた神様だったのではないかとも考えられます。

奥宮遥拝所

その証拠のように思えるのが、宇佐の女神を祭った奥宮。
「宇佐嶋」と呼ばれる御許山に、宇佐神宮発祥の聖地として大元神社があり、宇佐神宮からその奥宮を遥拝できるようになっています。
「日本書紀」には、市杵嶋姫命、湍津姫命、田霧姫命の三女神が宇佐嶋に降りまさしむ」という記述がありますが、やはり地元の女神さまがこの神社の中心的存在のような気はします。

下宮にも参拝

宇佐神宮は、同じ境内に上宮と下宮があります。
本殿の上宮を参拝した後は、「片参り」にならないよう、下宮も参拝しましょう。

下宮への参道

上宮から下宮へは、下り階段。
下って参拝に行くスタイルは、富岡市の貫前神社の下り参りを思い出します。
下宮も上宮と同じく三つの神殿が並ぶ構造で、祭っている神さまも同じ。
上宮は国家の神、下宮は民衆の神として、月々の祭祀はどちらも同じく行なわれているそうです。

下宮の社殿

宇佐神宮は、上宮と下宮の両方を参拝する上に、とにかく境内が広い!
私たちは、大鳥居から最短距離で上宮まで行って、そのまま下宮に下りて戻ってきたのですが、それでも参拝に一時間以上かかりました。
境内には、他にも伝説の菱形池や能舞台や呉橋など見どころもたくさんあるので、参拝時間には余裕を持っていった方がいいでしょう。

九州一之宮の総しめくくりにふさわしい神社

こうして九州一之宮めぐりの最終チェックポイントも無事に参拝を終えることができました。
九州の神社をめぐっていると、まちがいなく、この地が古代日本の形成において重要な場所だったと実感します。
最後に八幡さまの総本社を参拝したことで、九州の一之宮に八幡さまと神功皇后関連の神社が多いことにも納得がいきました。
そして、バラバラだった九州一之宮のつながりや、海を隔てた本州一之宮とのつながりも見えてきて、たくさんの点がどんどん線になっていくような気分でした。
今回、九州の一之宮めぐりを終えたことで、いよいよ残るのは離島4島と山陰地方のみ。
ゆめのりょけん一之宮めぐり、次の参拝記をご期待ください。

豊前国一の宮・宇佐神宮に参拝

まとめ 全国一之宮めぐりのすすめ

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