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May
17
2017

会津・鶴ヶ城で会津戦争を復習してきた(後編)

「会津は打たれ強い。会津は、八重さん、あなたは、強い」
前回に引き続き、シュクルの鶴ヶ城レポート後編です。
鶴ヶ城天守閣内での幕末関連の展示をじっくり見た後は、いよいよ天守閣の最上層へ。
会津の城下町を一望した後は、鶴ヶ城公園を散策します。
鶴ヶ城は、天守閣自体も大きいのですが、周囲の公園も広く、大きな堀があったり緑がいっぱいで、ぶらぶら散策するだけでも楽しいところ。
往時をしのびつつ、見どころを紹介します。

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最上層に登る

天守閣内の展示を見ながら階を上がり、ようやく、最上階の第五層へ。
ここからは会津の城下町が一望できます。

天守閣からの眺め

当時はここが戦場となって、激しい戦いが繰り広げられたのか...。
大砲方頭取として、籠城戦で大砲の指揮をとっていた川崎尚之助。
籠城戦で大砲の砲弾が残り2発になった時、尚之助は「必ずこれを命中させる」と宣言し、見事2発とも敵の大砲陣地に命中させたと記録に残っています。
尚之助さま、かっこいいわあ~!(*´Д`)ハァーーーン

売店は充実のラインナップ

しばし城下を眺めた後は、一階の売店へ。
定番のお菓子類から工芸品、キャラクターグッズまで、充実のラインナップです。

売店

薄桜鬼や戦国武将グッズ、赤べこキティ、「什の掟」Tシャツとかの会津藩グッズなどもたくさんあるし、フルーツ王国福島らしく、ジャムや蜂蜜なども売っています。

会津限定・薄桜鬼と蒲生氏郷グッズ

売店は天守閣入場のチケットがなくても利用できるので、会津土産を買いたい人にはオススメのスポットです。

「八重の桜」衣装展示

「八重の桜」の衣装の展示もありました。
容保公の陣羽織と、八重の衣装が2枚と覚馬の衣装、計4つの展示です。

「八重の桜」衣装

いや、ちょっと待って、鶴ヶ城さん。
この展示、一人、足りなくないですか?
八重と一緒に1ヶ月ここで籠城して戦った人の衣装は?
八重の夫ですよ?
大砲方頭取ですよ?
どうして尚之助さまの衣装は無いの?
こんなの絶対おかしいよ!
女将を呼べ!ヾ(。`Д´。)ノ彡

山本家美術セット設計図

「八重の桜」での山本家美術セット設計図も展示してありました。
山本家のセットと言えば、八重と尚之助が暮らした家。

山本家美術セット設計図

見ていると、二人のいろいろな場面が蘇ってきて、またうるうる。
涙ぐむシュクルの横で、サーチライトは「おらにも鉄砲教えてけろ!」と子供時代の八重のセリフを連発してました。

鶴ヶ城公園を散策

天守閣の周りは公園になっていて、散策できます。
ぜひ立ち寄りたいのが、天守閣近くにある茶室・麟閣。
入場料が200円かかりますが、天守閣・御薬園との共通チケットがあるとお得になります。

麟閣

千利休の子・少庵が建てた茶室で、明治なって鶴ヶ城が取り壊されるまで鶴ヶ城内で使用されていました。
利休が秀吉に切腹を命じられた後、茶道が廃れるのを危惧した会津城主・蒲生氏郷が、子の少庵を会津で保護した縁で、鶴ヶ城内に茶室があったのだそうです。
きっと容保公もこの茶室でお茶をたしなんだことでしょう。

茶室

鶴ヶ城取り壊しの時に、茶道石州流の森川家が自宅に移築し、以来百二十年大切に保存され、平成2年に鶴ヶ城内の元の場所へ再び移築されました。
この茶室は、人の縁で長い歳月を生き延びてきたのですね。

ふたつの桜

尚之助ファンならぜひ見たいのが、鶴ヶ城公園にあるふたつの桜。
場所は、天守閣をはさんで麟閣の反対側、北出丸方面にある管理事務所近く。
ひとつは「容保桜」です。

容保桜

容保公が京都守護職を拝命した時に、京都で会津藩上屋敷があったのが現在の京都府庁旧本館中庭。
そこの桜守・佐野藤右衛門氏により新種の桜が発見され、平成22年に佐野氏によって「容保桜」と命名され、会津若松市に寄贈されたものです。
まるで容保公が鶴ヶ城に戻ってきたような気分になりますね。

はるか

もうひとつは、「はるか」という名前の桜です。
これも新種の桜で、平成25年に綾瀬はるかさんが「はるか」と命名し、復興を願ってここに植樹したものです。
花を咲かせるのは植えてから約10年後とか。
まだまだ小さく細い木でしたが、これが大きくなって花を咲かせたら、絶対見に来たい!

綾瀬はるかさんのプレート

公園内にあるこの二種の桜は、どちらも川崎尚之助ゆかりの地にも根付くことになります。
「はるか」は平成26年に川崎尚之助が生まれた兵庫県豊岡市出石に、「容保桜」は平成27年に兵庫県美方郡香美町にある川崎家の菩提寺・通玄寺にそれぞれ植樹されました。
福島からは遠い兵庫県・出石に生まれながら、会津藩士として会津戦争を戦い、会津藩のために身を捧げた川崎尚之助。
140年の時を経て、その生き様が世に知られ、ようやく最愛の妻・八重と再会でき、主君容保公にその功を称えられたんですね。
良かったね、尚之助さま~!・゚・(ノД`)・゚・。

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尚之助さまを偲んで

現在の鶴ヶ城は、もちろん会津戦争当時のお城ではありません。
それでも天守閣は再築され、公園内には八重の銅像や、佐川官兵衛、秋月悌次郎、萱野権兵衛など会津藩士の碑があります。
しかし、これまでずっと歴史の陰に埋もれていた川崎尚之助の痕跡は何もありません。何も。

「八重の桜」で、砲撃の降るぼろぼろになった鶴ヶ城の中で、尚之助は八重に語ります。
「私は、国とは、そこに住む人のことだと思っています。会津は、八重さん、あなたは、強い」。
「そんなら、尚之助さまもりっぱに会津のお国の人だ」と答える八重。
二人が微笑みながら語る最後のシーンです。

この会話はフィクションですが、それでも、確かに尚之助さまは幕末の会津で生きた。
八重の母・佐久は、後に同志社女子大の舎監となった時、女学生たちに「会津の籠城戦の時は八重が前夫(尚之助)を助けて戦った」という話をしたことが、当時の女学生の回想に残っています。
たとえ目に見える形で残っていなくても、ここで尚之助さまが八重と共に会津のために戦ったのは紛れもない事実。
尚之助さまの魂は、きっと今も会津を見守っているに違いありません。

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